ただの現状

They say “let’s not dwell on the past”or whatsoever ,trying to pep me up. But if I were to let go of the past, this is where I cease to exist.  so worn out like dilapidated car, yet I must keep running, craving for whiskey and another feeling of inferiority as the fuel...

I always dream a dream in which this world seems more delightful, while the reality remaining the same: disappointing, depressing, despairing.

 

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この本は教養が深い方や実際的な問題を只の会話のネタに過ぎぬと思っているような人を対象にしておらず、深遠な哲学や学識的なことが以降本書で語られることは一切ないだろう。私がこうあって欲しいと思う常識に基づいた所見を纏めることのみを目標としている。読者に提供する処方箋は私的体験と観察に裏付いており、それに従うことで私自身が幸福をより強く実感できた物である とだけは断っておく。そしてこれを根拠として、男女問わず不幸を楽しめず悩める大多数の中に、本書を通して自身が置かれた状況の診断をし、不幸な状況の打開策を見つけ出す人が現れることを強く望む。不幸な人も正しい方向性の頑張りによって救われる、この信念こそがこの本を著した次第である。

 


以上が序文となるのだが文章内容を軽く抑えると 

簡単な本やで→私体験に基づくで→役に立ったら嬉しいで

さて英文を見ていこう 

 


5-6行目

some remarks which are inspired by common sense とある。

 


remarkが気になって調べてみたらやはり「所見」の意味があるので訳は落ち着いた。inspireが意外に曲者で、by以下によっては「着想を得る」など適当にしてもなんとかなりそうなのだが、いやしくも”common sense”である。「常識」から「着想を得る」のはそれ自体が二項対立であるような気がして「基づく」と訳してみたがニュアンスのずれが許容範囲であることを祈るばかりだ。

 


7行目

Recipe

恥ずかしながら通読時レシピと誤訳をしていたが後のdiagnoseあたりで違和感が高まって調べたらなんと「処方箋」という意味があるではないか。”act in accordance with them”する物と考えてたら良いのだろうが、やはり日本語が先行してしまうので典型的な誤読。

今朝電車に揺られながらoffer される対象はreceiveする物でスペル的に語源一緒かしら?なんて思ってたら図らずとも正解だった。

ceive cept cipはいずれもラテンcapere「取る」由来らしい。㍂

 


12行目

この一文はすこーし手強い

Venture to で「あえて言う(する)なら」の義があるが日本語にすると簡潔性が奪われるので文脈判断で上手いことしたい。文脈判断により「そこまで高尚な本ではないと謙遜(?)してきたがここだけはあえて望む」すなわちここだけは譲れず「あえて」と言いつつ強く望んでいるのではないか?と解釈した。

...find their their situation diagnosed and a method of escape suggested. 上手いことfindがそのままmethodやにかかっているように思えそうだが、do you find him easy to get along with?

と同じ文系である(佐々木高政の文系に準拠すると第21型)

しかし結局のところsuggestedによって「見つけ出す」「発見する」のような訳になるので頭を使って損した気になる。

 


最終文

thatの区別に注意。

 


英作的観点で見てみたが特段惹かれる表現は見つからなかった。

 

 

 

Venture to で思ったが意訳のみならず、そもそも翻訳という行為はそれ自体が著者に対する侮辱行為なのではないかと時たま思う。共通コードがあるとはいえ別物の体系を勝手に持ってきて「ほら!これがいいたいんでしょ」と悦に入った表情で趣向を凝らした文章を蹂躙し書き換えてしまう、時には180度意味が変わってしまうような訳を作り上げる。テセウスの船でさえ2つの船の同一性が議論の対象になるのに全く違う材料(言語)でそれっぽいものを模したにすぎない船が原本の如く出版され書店で書棚に並ぶ。一種滑稽に思えてこないか?

 


まあ結局のところ翻訳でも読まないよりマシなんでしょうし日本文学だけしか読まなかったら鎖国と同値ですけどね!母国語からは逃れられないのだー 母国語を失うときアイデンティティさえ失う気さえするしw 知らんけど

 

こーふくろんをよみとこー

思い立ったが吉日、今日より(と言っても3日坊主が目に見えているが)ラッセルの幸福論を読んでいきたいのだ!

概観把握の為ざっと数十ページ読んだが英文自体は猿でも「読め」そうな難易度というのと既に10年ほど前に邦訳サイトが存在してることの2点を鑑みて

英作的観点、そして英文解釈という体で読み進めていきたい。

 

独習用兼備忘録でありblog特有ののflexibility を盾に無知故の嘘が紛れてることをご了承願いたい。